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被災地 2013-07-09
ということで、前回の続きなんですが、山形に来たこの機会に被災地が今どうなっているのか

確かめに宮城県の石巻まで行ってきました。

石巻は甚大な津波の被害を受けた場所で、当時ニュースやインターネットで映像が流れていたのを

記憶している方も多いかと思います。


正直被災地まで行って、写真を撮ってブログで公開するなんていうのは、

不謹慎だと言う方もいるのではないかと思います。 

実際自分でもブログに載せていいものなのだろうかとても迷います。

ただ、現地でたまたまお話を聞かせて頂いた方が、「この現状を是非あちらでも伝えて下さい。

それだけでも、お話した甲斐があります。」という言葉を貰い、少しでも今の状況を伝えられれば

と思い公開しようかと思います。


有名な映像ですが、youtubeの映像と見比べると、現状が良くわかります。


まず一番最初に行った石巻漁港周辺の様子
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地図でいうとこの赤丸あたりになります
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言葉になりませんでした。

この写真に写ってる範囲は全て建物があったそうです。 


そしてそのまま日和大橋の方向に車を走らせました。

橋を渡ると、そこに見えたのは津波の被害にあった車の山
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地図の赤丸周辺の様子がこちら
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写っていませんが、ぐちゃぐちゃになった消防車、屋根がペチャンコの高級車、原型が分からない程の

スポーツカー等、車が山になり積まれていました。 後で話を聞いた所これでも何分の1かに

なった所だそうで、当初はこんなものではなかったそうです。 

そしてまた車に乗り、ほんの少し北の方角に向かった所で、地元の企業で作っているワカメや昆布等の加工品を

売っている小さな売店を見つけたので、これは買い物をしなくてはと思い停車。

ここの赤丸の場所です。
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こちらで働いていた方に当時の状況を聞いたところ、事細かに全て話して頂きました。

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こちらの直売所から見える範囲を写真で撮りましたが、上の地図の地図割りをみても分かるように

ここから見えてる僻地はもともと全て家があり、商店街がありスーパーがあり、

そこで生活している人が当然いました。現在ガレキは見えませんが、当時はもちろんガレキの山

でした。

ここのお店の裏は、墓地とお寺があり、なんとか見つかった墓石等は置いてあるのですが、

やはりお墓を管理するはずの家族が全員亡くなっていたりすると、この写真のように

無造作に積まれてしまっています。首の取れたお地蔵さんや、津波で破壊された墓石、

また誰も管理されていない墓石などを見ていると、さすがに胸が詰まりました。

そして、所々に写っている一軒家などは、住んでいた家族が皆亡くなってしまい、さらに

親戚などにも連絡がつかなく、行政が壊す事が出来ない建物だそうです。


これらの話しを聞かせて頂いた方は当時は少し別の場所でお仕事をしていたそうです。

その時話しをしてくれた事を、なるべく正確に覚えてるだけ書こうと思います。



「あの時は大きな揺れの地震が起き、これはただ事では

なくなるぞと判断し、連れていけるだけ人を連れて避難を

していたから助かったんです。というのも、以前地震が

起きた時も、揺れは大した事がなかったんですが、

小規模な津波が起こっているのを見ていて、

この揺れでは下手したら10m以上の津波が来ると思ったから

なんです。

その逃げる時も、やはり年配の方は「海辺で津波くるの見てろー」

と楽観的にしていた人も多く、ものすごい剣幕で避難しろ

といっても、聞かなかったので一緒に着いてきた親子を

連れて逃げました。 その親子も、年配の方に歳関係なく

怒鳴って避難しろと言っていた自分の剣幕にこれはただ事では

ないと思って着いてきたんでしょうね。

おそらくあの場所にいた人達は皆死んでいると思います。

そうこうしているうちにどんどん津波が押し寄せ、

後は皆さんが知っている通りになりました。

その後は、そちらのニュースで流れていた通り、

浜で死体が何百上がったとか、まさにその通りです。

ここの周辺の海辺もやはり死体が何十体もあがり、

流されないようにその死体に杭を打ち

留めていました。それでもまだ死体が上がるのはいい方で、

やはり流されていまだに見つからない方の方が多い

ですからね。 今もたまに漁をすると網に骨がかかるそうです。

その後は、もう全てガレキの山です。いたるところに死体があり、

木に引っ掛かって逆方向に折れ曲がった死体、

母親が絶対離さないと、指が子供に刺さって抜けない

程の力で抱いたままで亡くなってる死体、

車の中で夫婦が手を握り合ったまま亡くなっている死体、

色々なものを見ました。

でも当時は、何も考える余裕なんてありませんでした。 

死体を踏みながらガレキを越えて

死体が気持ち悪いとも、かわいそうとも感じる余裕がなく、

何も感じませんでした。

自分が生きるのに必死で、戦争で焼け野原になるというのは

こういう事なのかなと思いましたね。

そうこうしてるうちにボランティアの方々が支援に

きてくれました。本当に僕たちはボランティアの

方々には感謝の言葉しかありません。震災直後に真っ先に

ボランティアの方々が駆け付けてくれていろいろ助けて

頂きました。 最初の頃はまともにトイレもないのに、

女性の方も草むらかどこかで十分と言い、僕たちは本当に涙が

止まりませんでしたよ。確かにその後はあまり評判のよくない

人達もいましたが、それはほんの少数でした。

最初に駆け付けてくれた方々が、このように

してくれたおかげで皆さんはそれを指標に活動してくれました。

なので、僕たちはボランティアの人達には感謝の言葉しかないんです。

ここ一帯も全てガレキの山だったんです。

それをボランティアの皆さんがここまできれいにしてくれたんです。

その後は、結局勤めていた会社は津波で

駄目になってしまったんですが、今は何かの縁のお陰で

こうしてここで物を販売させて貰ってるんです。

ここに来てくれた人にこうやって話をさせて貰って、

是非あちらでも伝えて欲しいなと。

こんな状況でも東北は頑張ってるよと。」



所どころ省略や書いてない話もありますが、おおよそこの様な話をしてくれました。

正直何も言えませんでした。

同時に自分に出来る事はないのだろうかと強く思うようになったのも事実。

現実には今すぐ何かは出来ないと思いますが、機会があれば復興の

手伝いが出来ればいいなと感じています。

皆さんもぜひ機会があれば、現地に出向いて欲しいと思います。

運よく被災された人に話を聞けたら是非聞いて欲しいと思います。

テレビやネットで見たり聞いたりする話と、実際に体験した人の話を聞くのでは

全く違うんだなと改めて思いましたよ。

とりあえず、現地の現状を見てみるという事も復興の手助けになる一歩に

なるんじゃないかなと、話を聞いていて強く思いました。



宮城の魚はおいしいですよ! それを食べに行くのだってある意味復興の手助け

だったりするんですぜ! 

ということで今回の旅は終わり

また次の機会にもあっちでおいしいもの食べて、沢山現地のもの買うんだ!

がんばっぺ!東北!

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